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人、物、場所、制度や状況――自分を取り巻くあらゆるものすべて。

杉本諭は、静かに観察する。

 

 

――興味を惹く内容を、わかりやすく丁寧に。
教授陣が講義を行う際に気を付けている事柄を、杉本はことごとく無視している。
「さて……今日の講義は、先日配布した資料は熟読済み、という前提で話を進めます。
まずサンプル集団Aの傾向ですが」
杉本が口を開くと、学生たちはみな慌てて資料を探し始めた。
容赦のない進行。丁寧だが厳しい口調。
杉本の授業は、学生にしばしばそう評価された。
理論的も過ぎると、他人に有無を言わせない窮屈なものになる。
杉本自身もそれを理解していながら、しかし、態度を改めることはなかった。
他人に好かれようが嫌われようが、もともと興味がないのだった。
「次はサンプル集団AとB、それぞれを見比べて相違点をつかみましょう」
教壇に立ち、よどみない口調で説明を続けながら杉本は周囲を観察していた。
男子学生の欠伸。
女子学生が操る携帯。
他教科の課題を進めているだろうペン。
一部の学生の真剣な眼差し。
あらゆるデータが無意識のうちに蓄積されていく。
観察は、杉本の癖でもあった。

***

「杉本教授!」
講義終了後、廊下を歩く杉本を学生が呼び止めた。
「なんでしょう」
「あの、もしよろしければ資料をお借りしたくて…今日の講義に出ていた研究者の…」
「伊藤さんですか?……ああなるほど、矢吹先生の課題のためですね」
「えっ……どうしてですか?」
「伊藤さんも矢吹先生も、都市開発専門でしょう。矢吹先生が先日、課題〆切が迫っていると話していましたので」
加えて、先程の講義中にこの学生が課題を進めていたのは目にしている。
「…おっしゃる通りです」
学生は驚き半分、恐縮半分と言った様子で頷いた。
注意深く観察していると、大体の事は推測できるようになる。
それを便利だと捉えるか、つまらないと捉えるかは人それぞれだ。
どちらの感慨も、杉本は抱いていなかったのだが。
「では、今からお貸ししましょう。…おや、そのクリアファイルは」
最近流行りの映画のものだ。原作は海外の演劇だったろうか。
「あ、先日観てきたんです。主役の俳優が、子供時代から老人まで演じ分けてて凄かったですよ」
「そうですか」
「教授も映画はお好きなんですか?」
「いえ、特には。何かの広告で見かけたもので」
杉本の言葉は真実だったが、
例え映画を好んでいた所で、頷いていたかは謎である。
杉本はあまり、プライベートの話題を出したがらなかった。

***

教授ひとりひとりに与えられた研究室。
愛用の茶器で淹れた中国茶の香りが、部屋の中に満ちていく。
杉本は席に座り、先程の学生が残していった映画のパンフレットを眺める。
「“激動の人生を描いた感動作”……ふむ」
映画や演劇が、人の一生を描いたものなのだとしたら
人は誰しも、それぞれの舞台を生きている……と言いかえる事もできるかもしれない。
杉本はふと、そんな事を考える。
だとすると、私の役回りは何だろう。

大学に研究室を構える教授、という主役か。
学生を迎え、教え、送りだすのみの脇役か。

「それとも――観客か」

目に映るものすべてが、作り物めいていた。
これが自分の人生なのか、ただ眺めているだけの舞台なのか
すでに、杉本にはわからない。
杉本は観察する事に慣れ過ぎてしまっていたし、
杉本の仕事の大部分も、観察で成り立っているせいだろうか。

「職業病というべきか、性格というべきか……やれやれ」
憂う訳でもなくそう呟いて、杉本は机に向かう。
片づけねばならない仕事は山積みだ。油を売っている暇はない。
と――ある書類に目が留まる。
「おや、これは……」
杉本のゼミに所属している女子学生の、単位不足を告げるものだった。
必修科目を取りそこねたらしい。
あろうことか、杉本自身が教鞭を取っている科目だった。
そういえば講義で顔を見た気がしないと、今更ながらに思い出す。
「困ったものですね……」
このままでは、彼女の進級は難しい。
彼女の人生のシナリオを少なからず揺るがすだろう出来事に、同情を禁じ得ない。
情状酌量の余地はあるが……しかしまあ、自業自得である。

杉本はひとつ息を吐き、件の学生を呼ぶために電話を取った。
「……もしもし、杉本ですが。
ちょっとお話があるので、明日研究室に来てもらえますか」

 

 

杉本は静かに観察する。
自分が観察される立場にまわるとは、さすがの彼もまだ知らずに。

 

 

【制服のオジサマ】本編につづく